ゆる~くだらだら

日常の思ったことをてきと~に書くブログ

プロフィール

はい、ども~。

このブログを運営している、ぴろです。

 

この記事では、「私がどんな人間なのか?」や「なんでこんなブログ始めたの?」ということについて、赤裸々に白状してみました。お時間のある方は、ゆる~い感じで読んでやってください。

 

 

 

簡単な経歴

・ぴろ

・1994年生まれ

・福島県出身

・現在はしがない地方で暮らす

 ・某大学教育学部2年←今ここ。そのうち辞めます。

集団が嫌いな幼少期

福島県の山・海・田んぼしかない大平原で生まれた小生ですが、外に出るのは嫌いでずっと家に引きこもってるタイプの子どもでした。周りには同い年の子供は皆無で、小学校低学年の頃は学校から帰ったらパソコンのソリティアやらマインスイーパーやらをひたすらやってるという、なんとも寂れた日々を送ってました。そんな中、1学年上に男っぽい性格の女の子がいて、よくベイブレードとか遊戯王で遊んでました。

 

んで、幼稚園で初めて集団生活を経験するわけですが、毎日が苦痛でした。今でも集団行動や集団生活は嫌いですが、それは現在も変わってません。みんなが遊んでるのをぼ~っと見てるような子どもでしたね。

 

小学校3年くらいでポケモンのルビーサファイアが発売され、それを買ってもらったことを機に、一気にゲームにのめりこみました。放課後とか、よく男っぽい女子とポケモンで対戦してました。

 

初めての挫折体験

中学1年の頃、PSPでモンハン2ndが発売されて、めっちゃ流行ってました。私は1つのことに狂ったようにハマリ、急に飽きる人間なんですが、モンハンはとにかくやってましたね。で、中2辺りになると志望校を意識しだします。私の成績はビリ近くをうろうろしてたんで、当然大した高校はいけません。そこでふと、「どうせならこの辺で一番頭いい高校に行ってやろう!」と思い、進研ゼミを始めて勉強を始めました。

 

私の住んでた地域が学力が低レベルだったこともあり、あっという間に学年1~2位という結果になり、どこでも受かるという状況になりました。んで、その辺で一番偏差値高い高校を受けた結果、みごと落ちました。発表の瞬間は、ショックでしたね。今までの努力が、一瞬でパアになることってあるんだ、と。今思うと、高校なんてどこ行っても同じだし、早い段階でそういう経験をしててよかったと思います。

 

ゴミみたいな高校時代

落ちたショックで、もう人生どうでもよくなってたんですが、運よく?その辺で2番目に偏差値が高い高校に入ることが出来ました。当時、ドラゴン桜の再放送がやっていて、私は東大の理科1類に入ろうと本気で思ってるという勘違い野郎でした。んで、周りの生徒に志望校を聞くと、だいたい福島大で、よくて東北大ばかり。まあ、その高校から東大合格者なんて1人もいないし、教師も宮教とかその辺出身なんで、目指すだけ無駄みたいな状況なんですよ。

 

やる気とか、生きる気力が一気に消えていき、死んだような日々が続きました。学園祭とかでみんなが盛り上がってるのを横目に、「何が面白いんだろう?」と冷めた目で見つめ、んで当日も参加しない、というまあ、シベリアのように精神は冷え切ってました。

 

そんなゴミのような生活がたたって、高1の終わりと同時に高校を辞めました。高校通ってた時は毎日が苦痛だったんですが、辞めてからは心の平穏が戻りました。なんで、辞めたい人はさっさと辞めましょう!我慢して通い続けても社畜になる未来しかありません。

 

だらだらしてたらあっという間にニートに

高校辞めた後は、通信制の高校に入りました。月1回行けばいいようなとこだったんで、全力でダラダラする日々が続きます。その頃、お笑い番組にハマって、YouTubeで「ガキの使い」「ごっつええ感じ」「神さまぁ~ず」などの番組や、「JUNK」「有吉のサンドリ」とかを狂ったように視聴してましたね。

 

中でも一番ハマったのが爆笑問題。太田光がいくつか本を出してるんですが、全部買って読んだほど。その影響で、大学は爆笑の2人と同じ「日本大学芸術学部演技コース(だっけ?)」を受験しようと決意します。

 

ある日、通信制も月1回なら行ってる意味なくね?と思い、高卒認定を18歳の8月で取って辞めました。それから受験の日まで猛勉強・・・・・するわけなく、相変わらずYouTubeでお笑いを見てました。その頃は有吉がブレイクしかけの頃で、毒舌全盛期の頃でした。「有吉出てる番組はハズレ無し」って時代で、有吉の動画は全部見てました。

 

で、受験本番。日芸がある江古田に行って試験に挑みます。勉強してないんで、全然解けません。1次試験の国語・英語は200点中60点取らないと足切りだったと思いますが、運よく切り抜けました。で、2次試験。歌うたったり、踊ったり、セリフの音読あったり、本当に芸大っぽかったです。

 

ダンスの試験中、めちゃくちゃうまい女子がいて「これ無理だわ☆」って諦めました。帰りの電車の中で、一緒に受験してた世田谷出身の女子と話してたんですが、その子はムサビとかセンターとか色々受けてた模様。何となくノリで受けてた自分がしょーもなく思えました。

 

で、浪人が決定したわけですが、危機感は特ありませんでした。私は、自慢じゃありませんが、ニートが転職であるという自負があります。

 

そっから、だらだら生きる日々が続き、YouTubeでPDSとかはじめしゃちょーの動画を一日中見てました。バガボンドの農業編を読んで、「農業でもしてみっかぁ~」と思って短期バイトをしたらそこがブラック☆ブラックな環境だったんで、途中で逃げ出すという始末。

 

あとは、当時小学生だったいとこの家に行って一緒に野球したりゲームして遊んでました。その家が小学校から徒歩1分だったこともあり、小学生たちのたまり場になってたんです。で、たまに20のおっさんが小学生数人と遊んでたわけですが、なかなか楽しかったです。

 

同級生は大学に行って、順調に社畜になる準備をしてたわけですけど、そんな腐りかけた人間と遊ぶよりも、日々楽しそうに生きてる小学生の相手してる方が楽しかったんです。そんなこんなで、「小学校の教師になろう!」と思い勉強を始めました。

 

大学もクソだった悲劇

セクシーゾーンの中島健人が明治学院大学の社会学部に通ってたんで、「そこいったら、会えんじゃね?」と思い、明学の心理学部教育発達(だっけ?)を受験しました。その頃22歳で、同期は4年生で卒業の年です。でも、プロのニートである私からすれば、そんなのとるに足らない事実です。まだ、焦るような時間じゃありません。

 

 

で、通おうとしたわけですが、戸塚がごちゃごちゃして汚い街なのに加えて、生徒のレベルも低かったんで、すぐに辞めました。そんで、翌年田舎の教育学部がある大学に入って1年過ごしたんですが、結局明学と変わんなかったです。

 

多分、社畜として順応できるような人間とは相性が悪いんですよ、あたしは。プロのニート生活が続くと、レール(そんなの幻想だけど)にしがみつこう!なんて気はさらさら起きないし、上司(大学だと教授)に媚び売ったり、気に入られようなんて気持ちも起きません。

 

机上の空論並べるだけの教授に気に入られても、学年が上なだけで偉そうに振る舞う先輩に好かれても、待ってるのは社会の使い捨ての歯車であり、どうでもいい会社に一生飼われる社畜としての人生だけです。

 

私は現在24歳で、大学2年です。でも、大学は前期までには辞めます。辞めてプログラマーになるつもりです。社畜根性が染みついた人間は、私に向かって

 

無理に決まってんだろw

人生オワコンw

 

とか言うと思いますが、確かに無理だと思いますよ。誰かの指示なしには生きられない社畜志向の人間には。私は、何度も言うように、プロのニートなんです。不可能はありません。なんで、これからプログラマーになる過程を書いていきます。

 

 

 

子どものように生きよう

当時、小学生だった親戚の子供が中学生になったあたりから、急につまらなくなったんですよね。野球が好きだったんで、「お前なら、絶対プロになれる!」と言えば、「おっしゃぁ!」とか言って練習してたんですが、今では「・・ふ。無理でしょ」とか抜かす始末。大人になったと言えばそれまでですが。

 

で、大学で幼稚園に行く機会があり、行ったんですけど、そこでの経験は忘れられません。砂場でなんか作ったり、女の子とままごとしたわけですけど、ふと昔親戚の子供と遊んでた時の感覚が蘇りました。なんか”生きてる!”っていうか、純粋に目の前のことを楽しむ光景を目の当たりにして、「俺はいつからこういう風に生きれなくなったんだろ?」と省みるきっかけになりました。

 

ということで、なるべく新しいことや体験をしていきたいと思ってる次第です。意識しないと、保守的なことばかりしてしまうんで「ブログを書く」というのは結構役に立ったりしてます。面白いブログを読むのが好きなんで、みなさんも楽しい発見とかがありましたら、是非ブログに書いてください。タダで始められますし。大人になることが成長って言われますが、子どものままでいることも結構大事なんじゃね?と思う今日このごろだったりします。